高野戦から3カ月後の2001年6月、私は会社を辞めた。
「アメリカのボクシングジムに行って本場のボクシングに触れてみたい」
確かにそういう考えはずっとあったのだが、「毎日が辛すぎる」「“いじめ”から逃げ出したい」という気持ちの方が大きかったかもしれない。
でもそれを認めるのは情けなさ過ぎたので、当時の私はその気持ちを見ない振りをして涼しい顔をしていた。負けを認めたくなかったのだ。
「いじめなんてどうってことないけど、私はアメリカに行くのよ!」
と自分に言い聞かせた。
辞める時の挨拶も
「私は会社を辞めてボクシングのチャンピオンになります。今までありがとうございました」って感じ。
私が行きたかったのはニューヨークブルックリンにあるグリーソンズジムとロスアンゼルスにあるLA.ジムだ。
グリーソンズジムはモハメド・アリ、マイク・タイソン等、131人もの世界チャンピオンを生み出してきた名門ジムである。
LA.ジムも今は無くなってしまったけれど、多くのチャンピオンが在籍し、日本人ボクサーも多く留学していた名門ジムだ。
英語力には不安があったが、英語が堪能なジムメイトが同行してくれることになり、一安心。まずはニューヨークに1週間程滞在し、それからロスアンゼルスに向かう。
まずは憧れのニューヨークに着いて、安アパートで一泊した翌朝、これまた憧れのセントラルパークへ。いつもの憂鬱なロードワークも足取りが軽い。いつか観た映画のワンシーンに迷い込んだようだ。
6月のニューヨークは初夏のような爽やかさで、カラッと晴れて湿気もなく、私が滞在していた1週間は雨も全く降らなかった。
走った後、公園の芝生に寝転んだ。空が高く気持ち良い。
「ああ、この空が日本の空、東京の空と繋がってるんだなぁ」
しばらくボーッとしてから、ふと四つ葉のクローバーを探し始める。
あった!ここにも・・・。日本に比べて多いのかな。あっという間に5,6本の四つ葉を探し当てた。
こんなにのんびり過ごすのは久しぶりだ。日本での出来事が嘘のようだ。
「今頃はいつもなら会社に行ってる時間だな。でももう行かなくていいんだ、あんなところ」
気がつくと、いつの間にか眼から涙が溢れていた。
こんな感傷に浸っている場合じゃない。これだと本当にいじめから逃れてきただけになってしまう。午後には今回のミッションを遂行しなければ。
何のアポも取っていなくて、いきなり異国の地のボクシングジムを訪ねるなんて・・・。それまでに味わったことのないようなドキドキの連続である。
まずは地下鉄の駅を降り立った時の何ともいえない雰囲気。正にニューヨークのダウンタウン。これもまた、なんとなく映画で見たことがあるような景色。こちらはマフィアが出てくるような映画という感じだろうか。
今はどうか分からないが、当時はまだホームレスも多く、しつこく追い回されて、やっとの思いでコンビニに逃げ込んだこともあった。
アナログな時代だったので、紙の地図を見ながら目的のグリーソンズジムを探す。
ジムに入る時、思った。「え、何か道場破りみたい」
「ジムの会長って怖いんだろうな。タトゥーとか入ってるんだろうな。眼帯してるかな、丹下団平みたいな・・・」
友人と二人で事務室に入る時、ドキドキがマックスに。
次の瞬間、完全な肩透かしを食らう。
「ホントにこの人が会長なの?」と疑うくらい、優しそうな紳士的な男性だったのだ。まぁ確かにボクシングは紳士のスポーツとか言うよね。てか、紳士のスポーツ多すぎじゃね?それにもう一つ言わせて貰うと、女性も入れてくれー!って感じ。どうして紳士ばっかり。
とにかく、とっても温厚な会長に丁寧な説明を受けて、ジムのシステムを教えて貰う。といっても、説明を聞いたのは友人で、私はその友人から教えて貰っただけだ。彼女には本当に感謝、感謝である。
まず、あちらのジムは日本のようにジム専属のトレーナーがいない。
ジムにフリーのトレーナーが何人かいるので、自分でトレーナーを選び個人的に契約する。選手はトレーナーに報酬を払い、トレーナーはジムに場所代を払うシステムだ。
どのトレーナーが良いのか、全然分からなかったので、会長に親日家だという黒人のトレーナーを紹介してもらう。ボビーという30代後半くらいのそのトレーナー、やはりとても優しそうで、日本でキックボクシングの試合をしたこともあるそうだ。
それから日本のボクシングジムはリングが1面だけのところが殆どだが、このグリーソンズジムにはリングが5,6面もあった。
初日はジムの雰囲気を見て、説明だけ聞いて帰ろうと思っていた。だが、ボビーは練習をするから着替えろと言う。
ええっ!帰る気満々だったのに・・・。でも何故かバッグにウェア、グローブ、ヘッドギアまで入っていた。実はやる気満々だったのか、私。早速着替えてリングに上がることにした。
ついに夢みていたアメリカでのトレーニングが始まる。