さて、ちょっと横道に逸れたので何試合目まで書いてきたか、分からなくなってしまったが、確か次は3試合目、私にとって初の国際戦となった試合だったと思う。
2試合目の久保戦の後、なかなか相手が決まらず、二転三転した。対戦相手が断ってきたり、怪我をしてしまったり。 結局、丁度いい相手が見つからず、ライカ選手(山木ジム所属で私と同日デビュー)の相手と私の相手を韓国から呼ぶことになった。
それまでの興行での私の出番は1試合目とか2試合目、いわゆる前座でラウンド数も4ラウンドだったが、この試合ではなんとセミファイナルに大抜擢(メインはライカ)。 ラウンド数も6ラウンドになった。 凄い!私がセミファイナルだなんて。夢のような気持ちだった。
当時は山木ジムが力を持っていたので、私のような外部の選手がセミファイナルをやれるとは思ってもみなかったのである。これには当時の興行主に感謝しかない。私を信用して下さって、大役を任せて下さり、本当にありがとうございました。
海外の選手と6ラウンドもボクシングが出来る。それはワクワクすると同時に不安でもあった。一体どんな選手なんだろう。何の情報もない。そして6ラウンドも出来るというか、6ラウンドやらなければならない。それまでの試合は4ラウンドまでだったので、6ラウンドなんてスタミナが持つかどうかも不安だった。 しかしどんなに考えても不安は拭えず、やはり後は練習するのみ。それまでよりもジムワーク、ランニング、筋トレの量を増やした。
その結果、まだ試合経験の浅い私はオーバーワークとなり、腰を痛めてしまう。試合当日まであと1週間程。たぶん治らないと諦めて、痛みの出る動きは控え、なんとか騙しだまし練習を重ね、いざ本番へ。
試合は2000年12月12日。腰痛の不安があり緊張気味の私にトレーナーが言った。
「12月12日だからワンツーワンツーでいこう!大丈夫、いつものとおりに」
おやじギャグのようだが、当時の私はストレート系のパンチが得意で、ワンツーや右ストレート、左ストレート2連発等をよく使っていた。
試合ではアドレナリンが出ているためか、殆ど腰の痛みを感じることもなく闘うことが出来、ストレート系のパンチもよくヒットした。どんな相手か、どんな攻撃を仕掛けてくるのか、パンチの強さ、軌道はどんな感じか。1ラウンド目は様子を見る作戦に出た。
大丈夫そうだ。トレーナーからGoのサインが出て、一気に攻める。2ラウンド目でダウンを奪い、 続いて連打で攻めると相手の鼻からの出血が止まらなくなり、「鼻骨が折れたかもしれない」と思った。4ラウンドに入ってからも出血が止まらず、連打中に相手セコンドからタオルが投入されて試合ストップ。4RTKO勝ちとなった。
次の試合、4戦目は誰と組んで貰えるのだろう?なんとなく不安な気持ちで毎日練習をしていると、意外な知らせが舞い込んだ。私が主に試合を行っている階級、フライ級でトーナメントを行い、優勝者がチャンピオンになれるという。それまでは私よりも一つ下の階級、ミニマム級の選手が多く、フライ級以上の選手が少なかったため、トーナメントが組めなかったのだ。この頃からフライ級の選手も増えてきて、バンタム級、フェザー級の選手も徐々に増えていった。
ミニマム級は47.6㎏、フライ級は50.8㎏。私は身長が165cmあるので、ミニマム級まで落とすのはちょっとキツかったのだ。
このトーナメントで優勝したら・・・なんと私はチャンピオン。チャンピオンベルトを巻くことが出来る。前回のセミファイナルの国際戦にも増してワクワクした。夢の中でふわふわと歩いているような気がした。自分がチャンピオンになるだなんて考えてもみなかった。只々、毎日の練習が楽しくて続けてきただけなのである。
ただチャンピオンになるためには3戦を勝ち抜かなければならない。トーナメント表を見て、私は一気に現実に引き戻される。1戦目で当たるのは高野由美選手。「女豆タイソン」との異名を持つ山木ジムの重鎮で、一番の優勝候補だ。彼女のスタイルはサウスポーでファイター。これは私が最も苦手とするスタイルである。世界戦の経験者でもあるベテランだ。
それに実は1年前の神戸のアマチュア大会の会場で「プロでやってみませんか」と声を掛けてくれたのは、彼女だった。私に目をつけて、プロの世界に引っ張ってくれた恩人なのである。
この試合の時はそれに加え不安材料がもう一つあった。ずっと私にボクシングを教えてくれていたトレーナーが海外へボクシング修行に出掛けたため不在だったのだ。
またしても不安な状態に陥った私だったが、ジムの他のトレーナー、ジムメイトが一緒に練習してくれて支えてくれた。それまでもそうだが、また改めて「一人ではリングに上がれない、仲間達の支えがあってこそ」ということを思い知らされた。試合の時は一人で戦うしかないが、それまでの道のりは多くの人達に支えられているし、当日もセコンドの指示やお客さんの声援に支えられているのだ。
高野選手はサウスポーでスピードがめちゃくちゃ速い。よーく見ていないとそのスピードについていけない。ジムのトレーナーにサウスポーで超高速で仮想高野選手になって貰い日々、スパーリングを重ねた。勿論、出稽古で他ジムの女子選手とも多くのスパーをして貰った。
やはりこの試合の時も不安で(まぁ毎回不安なのだが)3戦目にも増してハードなトレーニングを重ねた。だがこの時は身体が強くなったためか腰を痛めることもなく、絶好調な状態で試合当日を迎えることが出来た。
そして2001年3月2日、トーナメント1戦目にして最強の相手との闘いが始まる。