王座獲得後、初めての試合。その相手は意外にも1階級下のミニマム級日本チャンピオン、マーベラス森本選手だった。チャンピオン同士の試合だが、タイトル戦ではなくラウンド数も8ラウンド。それでも決して油断出来るような相手ではなかった。
まず階級が下のはずなのに、筋量がハンパない。私もかなりウエイトトレーニングを頑張っていたつもりなのだが、彼女の隣にいるとその私が細く見えてしまう。
見た目も怖く、動きも俊敏。まさにマーベラスな選手だ。。
試合はタイトル戦の約2か月後の2002年4月29日。チャンピオンになったことを喜ぶ余裕もないまま、早速トレーニングを開始。
実はこの試合から調整が上手くいかず、ベストコンディションで試合に臨めないことが続く。体調管理は自分の責任なので言い訳にはならないが、それでもあまりにも続く不運を嘆くこともあった。
この頃はまだ前日計量ではなく当日計量だったので、体調管理も難しかったのだと思う。今思えば、もう少し余裕をもって体重を落とすべきだったのかもしれない。タイトル戦後、思ったより体重が増えてしまい、減量も厳しかった。試合前の何日かは何も食べていなかったと記憶している。
減量のため身体に力が入らなかった私は、計量から試合までの5~6時間で出来るだけ食べて回復しようとした。
それがいけなかったのだと思う。飲んでも飲んでも喉がカラカラでトイレにばかり行きたくなり、喉の渇きは一向に収まらない。水が身体を素通りしているようだ。回復している実感が持てないばかりか、そのうち気分も悪くなってきた。ヤバい、試合の時間が刻一刻と近づいてくる。
試合をしない訳にはいかない。私の出番はセミファイナルで既にお客さんも入っているし、前回とは違うドキュメンタリー番組の取材も入っている。それにこの日に限って勝利を観て頂きたい方を招待してしまったのだ。
私が格闘技を始めるきっかけとなった道場、大道塾の東孝塾長だ。ボクシングの試合は、この日初めて観に来て下さる。
そしてもうひと方、雑誌で対談させて頂いた片岡鶴太郎さん。この試合の少し前に某雑誌で
「逆境をいかに乗り越えるか」といったテーマで対談したのだ。
私の中に試合をしないという選択肢はない。そして出来れば勝ちたい。是非ともいいところを観て頂きたい、撮って頂きたい。
バンテージに不正がないかチェックして貰うバンテージチェック。同じくグローブの上からテープを巻いた後にチェックして貰うグローブチェック。両方終わり、後はリングに出るのを静かに待つのみ。
と、そこでまたトイレに行きたくなる。
「マジか。グローブ付けちゃったじゃん」
「もうこのまま試合やろうかなぁ?」とも思ったが、それはあまりにもヤバいでしょ。
そこで近くにいた女性スタッフにお願いして、トイレの中まで来てトランクスもパンツも下ろして貰った。もはや恥ずかしいなどと言っている場合ではない。いや、手伝って貰ったのは女性ではなかった気さえしてきた。「女性だった」と思い込もうとしているだけで、セコンド陣の男性だったような気もする。元々スタッフに女性はいなかったような・・・。
まぁどうでもいいや、今となっては。
とにかく試合開始には間に合った。一応ホッとするが、目の前には怖い顔とごっつい腕。
まぁ怖い顔はアメリカで慣れてるけど、なんだか身体がふわふわする。
それまで気付かなかった会場の声援が耳に届き始める。東塾長と鶴太郎さんの声も聞こえた気がする。
「気合入れなきゃ!」
ふわふわしていた私はふと我に返る。
試合開始のゴング。まずは相手の動きを見る。速い。めっちゃ速い。左右、前後に動き回り、目で追い切れない。パンチも速い。身体がついていかない。反応出来ない。
ニューヨークでスパーリングをした黒人選手の動きに似ていた。いや、それ以上に速くてパンチも強かった気がする。私の体調も関係してるのかもしれないけれど。
「何とかしなくちゃ」と夢中で応戦したが、結局最終ラウンドまで、私のパンチは殆ど届かず、パンチを貰ってばかり。終始翻弄されて、途中からは野生動物相手に闘っているような気さえしてきた。こんなに手応えのない試合は初めてだった。
結果は2-0の判定で私の完敗。せっかく尊敬する方々が観にいらしてたのに情けない限りだ。
とにかく私の体調とは関係なく相手の森本選手は強かった。とにかく強かった。私が万全の体調だったとしても私が負けていたのではないかと思う。
初めての敗戦。この悔しさをバネにして、もっと強くなろうと誓った。減量方法の見直しという課題もみつかった。
もっと強いチャンピオンになりたい!すぐにでもトレーニングを再開したい気持ちだった。この敗戦を糧に出来れば、きっと「負け」も無駄にならないはずだ。とりあえず次回以降は減量での失敗はゼロにしよう。