ニューヨークのグリーソンズジムに続いて、ロスアンゼルスのLAジムでの修行。
みんなLAジムと呼んでいたけど、正式にはLA BOXING CLUBという名称だそうだ。
友人のガッツとはニューヨークでお別れし、一人でロスの空港を目指す。
チケットはもう買ってあったが、
「もし搭乗ゲートや時間の変更があったらどうしよう?ヒアリングが苦手な私には聞き取れないかもしれない」
と、飛行機を待っている間、とてつもない不安に襲われ、それまでいかにガッツに頼りきりだったかを思い知らされる。ジムに着く前なのに、もう既に修行が始まっているような心境だ。
ドキドキして待っていたが、幸い何の変更もなく、無事にロスアンゼルスに到着。
空港にはアメリカでプロデビューをして頑張っている、友人の丸山礼子選手が迎えに来てくれた。彼女はロス郊外に家を借りて、車でLAジムに通っていたので、私もそちらに2週間程お世話になる約束をしていたのだ。
丸山選手(マルちゃんと呼んでいる)は1997年に単身ロスに渡り、アパートを探したり、車の免許を取り直したり、もちろん車を購入したり、トレーナー探しをしたりと、色々な苦労を重ねてきた。しかも英語が全く分からなかったそうで・・・。一体どうやってこんなことが出来たのか不思議。マジ凄い!
彼女はマック・クリハラさんと組んでいると聞いていた。マックさんは世界チャンピオンを何人も育ててきた名トレーナーだ。当然マックさんにトレーナーをお願いしているのかと思っていたが、マネージャーとしての契約とのことで驚く。トレーナーはレイラ・アリと同じトレーナーのダブ氏にお願いしているとのこと。彼は後にミリオンダラー・ベイビーのモデルにもなったそうだ。
とにかくマルちゃんが開拓してきたLAジムで、私達は大変お世話になった。「私達」というのは、いろんな日本の選手がみんなマルちゃんを頼って渡米していたからだ。部屋が幾つかあるので、その部屋に日本のボクサー留学生を泊めてあげて、更にはジムにも車で連れて行ってあげることも多かったそうで・・・。本当に感謝!マルちゃんがいなかったら私のLA修行も実現していなかった。
練習自体はやはりニューヨークと同様に恐ろしかった。トレーナーとしてついて下さったマック氏のトレーニングは、噂通りスパーリングが中心。私はフライ級の選手だったが、フェザー級やライト級の選手とのスパーリングも当然のように組まれた。日本のボクサーからしたら
「科学的ではない」「危険じゃないか」
と思うかもしれない。だが元々私がやっていた大道塾も、基本的に体重は無差別だったので、それほど抵抗もなくすんなり練習することが出来た。
とはいえ、自分より重い階級の選手のパンチは破壊力がハンパなく、めっちゃ痛くて顔の形が変わってしまうのではないかと思ったほどだ。
しかもただ体重が重いだけではない。LAジムには女子の世界チャンピオンや次にタイトルに挑戦するような強い選手がたくさんいたのだ。
その時の私はまだ4回戦しか闘ったことがなく、正に胸を借りるといったスパーリングが毎日続いた。
実際にスパーリングの相手はしていないが、レイラ・アリやウェンディ・ロドリゲス、ブリジット・リリー等の女子世界チャンピオンも練習していた。
現地の選手だけでなく、同時期に日本から練習に来ていた菊川未紀選手ともスパーリングをした。菊川さんは私よりも早くデビューをしていて経験も長く、強くてクールで憧れの選手だった。一度名古屋でスパーリングをして貰ったことがあったが、相変わらずの技巧派で毎回私は苦戦した。
今考えるとグリーソンズジムよりも強い選手、重い選手が多く、ハードな日々だったように思う。
ただそれでも楽しく練習出来たのは、一緒に練習する仲間がいたおかげだ。
私がマルちゃんの家でお世話になっている時、他にも2人の男子ボクサーが滞在していた。渡嘉敷ジムの選手と大橋ジムの選手だ。彼らも現地のボクサーとスパーリング中心の練習をして、貴重な体験が出来たと喜んでいた。
朝のロードワークも4人で走ったし、食事中の会話もボクシング中心で、ボクシングの合宿をしているような感覚。ずっとここにいたくなるような日々。
だが、私には帰国後に試合が待っていた。フライ級トーナメントの2戦目だ。日本に帰って2週間程で試合の日を迎える。だから練習も普段の生活も私だけ何となく「試合前モード」だった。
ロスには色々な美味しい物がたくさんある。特にスイーツ。当時まだ日本に出店していない人気のドーナツ店があった。もうとっくに減量に入らなきゃいけないのに、どうしてこんな物があるんだぁ!どうしてロスには誘惑が多いんだぁ!
私は罪もないドーナツを恨んだ。そして私以外の選手は特に試合を控えている訳ではなかったので、そのドーナツを「うめぇ、うめぇ」とバクバク食べた。特に渡嘉敷ジムの池田政光選手。
「八島さん、これ美味いっすよ!どうして食べないんすか?」
どうしてって・・・分かってるじゃないか。もう池田君、このことは一生忘れないから。
だいたい私の減量はいつもスイーツとの闘いだった。試合の2カ月程前、甘い物を断つ。それから試合まではずっと我慢の生活なのだが、スイーツ売り場を避けることはしなかった。いや、むしろわざわざ「デパ地下」のスイーツコーナーに行って、ショーケースに並んだ色とりどりで美味しそうなケーキ達を睨みつける。そして
「待ってろよ、お前ら。試合が終わったら絶対買いに来るからな!」
と心の中で勝手に宣戦布告するのだ。
でも試合が終わってもロスまでは買いに来られない。結局、私は誘惑に負け
「もうしょうがない。だってロスに来てるんだもん」
とよく分からない言い訳をして、ドーナツを2,3個食べたように記憶している。
体重は日本に帰ってから気合で何とか落とした。
2001年7月20日、トーナメントの2戦目。対戦相手は布施雪野選手。
そう私のデビュー戦の相手だ。デビュー戦では3ラウンドKO勝ちをしてるし、アメリカでも強い選手とたくさんスパーリングをしてきた。
「これは大丈夫でしょ。負ける気がしない」
と余裕でいた私だったが、相手もハードな練習を重ねていることに考えが及ばなかった。しかも対八島用の秘策まで考えていたとは・・・。