今回は、第3代J-GIRLSアトム級王者の大島つばきさんにインタビューをしてきました。大島選手は、2002年にデビューをした選手です。2012年4月1日に開催された「J-GIRLS 2011 ―Platinum’s In The Ring 2nd-with J-FIGHT」で美保選手(KFG)と対戦し、第3代J-GIRLSアトム級王者を戴冠しますが、2014年にJ-girlsアトム級王座を返上します。現在は、あん摩マッサージ指圧師と鍼灸師として活躍しています。
そんな大島選手に格闘技を始めたきっかけや、プロキックボクサー、そして、現在のキャリアについて伺ってきました。
きっかけは看板をみたから
大島選手がキックボクシングを始めたきっかけは、通勤途中に見た看板でした。
大島選手はこれまでにバスケットボールなどのスポーツ歴があり、フィットネスジムに通ったりもしていました。当時、彼女は大手企業に勤めていましたが、通勤途中に見たキックボクシングジムの看板を見て、通ってみようと考えたとのことです。
「はじめはプロになろうとは思ってなかったんですけどね」と語るように、はじめはフィットネス感覚で通っていました。現在ではフィットネス感覚でキックボクシングをする女性も増えていますが、当時はまだまだその動きが始まったばかりです。キックボクシングジムと言えば、プロを目指す男性が中心で、女性が通う雰囲気はありませんでした。
その中で、大島選手が通い出したジムは、当時としては珍しく女性向けのクラスなども運営していました。このクラスに通い出した大島は、クラスの中で友人も出来てきます。この友人が、大島のプロデビューへの引き金となります。
友人が新空手のアマチュア大会に出るというので、試合に出ることにしました。「友達が出るってことで、『じゃあ、私も』という感じで、友達に付き合うことにしたんです。」と振り返る。しかし、最初の試合は残念ながら負けてしまった。
「試合の対戦相手が変わっちゃったんですね。で、対戦相手がセミプロみたいな選手になっちゃって、負けちゃいました。それで勝つまでは続けようかなって。」、勝つまでは続けることにしたが、無事に次の大会では勝利をおさめました。
プロデビュー戦はカナダ
そんな大島選手にプロデビューの話が持ち上がります。場所はカナダ。カナダでキックボクシングのイベントをするということで、日本の選手にも声がけが行われます。大島選手が受けたのがこのオファーでした。
「旅費は向こう持ちだったんで、海外旅行気分で応じました。」という大島。軽い気持ちで引き受けた試合だが、対戦相手のカナダ選手カーラ・ポプキンスに無事勝利をおさめます。その後、プロでの試合を続けていくことになります。
当時は大手企業に勤めながらのプロ生活でした。昼間に仕事をし、夜はトレーニングという毎日でした。「この月ならば試合できますって言っておいて、スケジュールが合えば試合をしてました」と語ります。
企業勤めをしながらのプロ生活は特に大変ではなかったと言います。大手企業ということもあり、突然の残業がある訳でもなく、有給休暇の消化もスムーズに進みました。まとまった有休をとり、タイでトレーニングするということもあったようです。
2000年代初頭は、全日本キックボクシングのGirls SHOCK、J-NETWORK のJ-GIRLと女子キックボクシング興行の黎明期でした。これらのイベントはその後なくなりますが、今よりも頻繁に試合の機会があるような状況です。一方で、女子選手の層は薄かったので、試合の機会は多かったと言います。大島選手のように、スケジュールを決めながら試合というスタイルにも合わせやすかったのでしょう。
2013年に第3代J-GIRLSアトム級王者になり、2014年に返上するまで、26戦17勝(3KO)7敗2分という戦績をあげています。この中で、彼女の印象に残っている試合を紹介します。
一つ目の試合は、2007年11月4日に「J-GIRLS 風花祭り『World Queen Tournament 前哨戦』」での試合です。この時は、アメリカのパティ・テラン選手との試合でした。
「最初は強いなって感じだったんですけど、ラウンドを重ねていって、『あれ?この人、パンチに弱いな』って思って、パンチに切り替えたら、なんとか勝てました」と振り返ります。試合展開が印象に残っていた理由とのことです。
もう一つの試合は、タイトルマッチ、2012年4月1日「J-GIRLS 2011-Platinum’s In The Ring 2nd~ with J-FIGHT」での美保選手(KFG)との試合です。「やっぱり、チャンピオンになれたのがうれしかったですね」というように、戴冠出来たことが印象に残った理由のようです。
国家試験を受けるためにキックボクサーはお休み
2014年に王座を返上します。その理由は、国家試験受験のためです。鍼灸治療のための国家試験を受けるために、研修や試験勉強に専念するため、両立は難しくなりました。こうしたこともあり、王座を返上します。
大島選手はフォルティス渋谷時代から、インストラクターとしても活躍してきました。インストラクターの仕事をどのように得てきたのかということですが、フォルティス渋谷時代の経験と人脈と言います。「移籍しましたって投稿したら、『やりませんか』って言ってくれる人がいたので、仕事をすることになりました」と語ります。今でも「やりませんか?」と言ってくれる人はいるそうです。
とはいえ、人脈づくりを積極的にしてきたという訳でもありません。あくまでも自然体です。「昔のジムメイトとか、どこかで知り合いになった人が声をかけてくれますね」と語り、そこまで特別なことをしてないと言います。
その後、国家試験に合格し、現在はあん摩マッサージ指圧師と鍼灸師として活躍しています。将来を見据えて、資格を取ってきたというのも、キャリアプランの一つだったと言えるでしょう。
まとめ
女子キックボクシングの黎明期から活躍をしてきた大島選手に話を伺いました。選手というと、インストラクターをしながら、競技に専念というイメージがあるかもしれませんが、もはやそういう時代でもありません。
仕事をしながら選手をするという人も多いですし、かつてと異なり、大卒の選手も珍しくはなくなりました。終身雇用の崩壊、企業が副業を奨励する社会になり、ますますこの傾向が強まるでしょう。選手だけで食べていくことのできる人は一握りに過ぎません。また、試合をしなくなった後のキャリアを考えることも重要です。
こうした中で、大島選手の話は、仕事と競技の両立というだけでなく、どうキャリアを作っていくのかを考えていく上で重要です。仕事をしながら試合をこなし、しかもチャンピオンにまで輝いた大島選手のキャリアは、女子選手だけでなく、男子選手にとっても参考になるのではないでしょうか。
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