初めての敗戦後、次の試合はなかなか決まらず、やっと決まったのは前回の試合から4カ月以上も後、2002年9月7日、オーストラリアチャンピオンのアマンダ・ブキャナンとの8回戦だった。
そう、日本チャンピオン対オーストラリアチャンピオン。絶対に負ける訳にはいかない。
そしてこの試合は前回までの会場、北沢タウンホールより大きなディファ有明で開催。BS朝日で放送され、またしても取材が入ることになった。
まぁ毎回「負ける訳にはいかない」と思って試合をしてる訳だが、それまでとは違う雰囲気にワクワクしていた。
今ほどネットも普及していなかったので、海外選手の情報も乏しかったが、アマンダ・ブキャナンといえば強くて有名で、キックボクシングの世界チャンピオンでもある。
だが、アメリカでいろんな人種の選手とスパーリングをしてきたお陰で怖さは全くない。
そして更に多くのタイプに対応出来るように、スパーリングの数を増やそうと考えた。
この頃は丁度、女子のボクサーも増えてきていたので、他のジムに出稽古に行き、いろんなタイプの選手とスパーリングをして貰った。
もちろん、階段ダッシュやサンドバッグ打ち等の基本的なスタミナ練習も怠らなかった。
試合に向けての練習期間は6~8月。その年、2002年は記録に残るような猛暑だった。
熱中症が懸念されるような猛暑の中で走り、その後ジムでトレーニング。
熱中症こそならなかったが、またしても体調に異変が起きた。
試合の1週間ほど前、なんとなく腰に痛みを感じ、練習後にマッサージを受ける。たいしたことはないと思っていたが、その帰り道、その腰の痛みがお腹に移動して徐々に激痛に変わっていく。痛すぎて叫びながらバイクで帰宅。幸いなことにバイクの音で叫び声は周りには聞こえない。
家に帰ってからも、のたうち回るほど痛かったので、すぐに救急病院へ。
痛み止めの薬を貰って少し治まったので「このまま治るかな」と高を括っていたら、3日後くらいにまた痛くなってきた。
そして今度は救急ではなく、通常のルートで診察をして検査もして貰うと、
「すぐに入院をして下さい」
とのことでビックリ。今でこそ入院のプロみたいなものだが、この時は確か初めての入院で「入院」という言葉の深刻さに只事ではないことが起きているのかもしれない、と感じた。
でも何故かいつもこういう時の私は根拠のない自信がある。めっちゃピンチのはずなのに
「またやっちゃったなぁ」くらいだった気がする。
病名は「尿管結石」で、原因は特定出来ないけど、暑い中で走って何リットルも汗をかいたからでしょう、との説明がドクターからあった。
そして超音波だか衝撃波だかをお腹に当てて石を砕く破砕術とかいう治療をした。
その治療も痛かったが、麻酔の副作用による吐き気が酷くて辛かった。
本当なら試合には間に合わなかったのだが、オーストラリアから対戦相手が来日している旨を説明し、無理を言って前日の夜に退院の許可が出る。
退院前、気分が悪くベッドの上で吐いていると、ドクターが
「え、それで明日試合なの?」
と爆笑している。
「そうそう。明日試合なんですよ」
私もつられて笑ってしまう。ピンチの時ほど人は笑ってしまうものだ。それに
「ドクターが笑っているということは、そんなに深刻ではないということだ」
当時の私はそう理解していた。
この時もまだ当日計量だった。前日の夜、体重は3kgほどオーバー。ずっと寝ていて点滴を打っていたので、身体が浮腫んでいるのだろう。走ろうかとも思ったが、体調も良くなかったのでそのまま就寝。当日に全てを賭けることにした。
当日、早朝から知り合いのスポーツジムで厚着をしてランニングマシーンで走り、2kg減。その後サウナに入り更に1kg減。なんとかギリギリ間に合った。
そういえばこの時に同期のジプシータエコ選手もサウナに入ってきて
「昨日サバ味噌定食、食べちゃったんだよねぇ。ヤバいかも」
とか言ってたのには笑った。ジプシーは緊迫した場面でいつも脱力させてくれる。
ありがとう、ジプシー。
計量会場で会ったブキャナンは何となく不気味だった。青白い顔の私を見てさぞ安心していたことだろう。
前回失敗したので、今回はたくさん食べて回復しようだなんて思わなかった。消化の良い食べ物少しと水。この方が調子が良いことを学習した。
さぁ、リングイン!この日は発熱もしていて、またしてもふわふわしていたが、前回よりは調子は良かった。自分でも動きは悪くなかったと思う。
ただ相手が強過ぎた。前回にも増して殴られた。さすがは10戦10勝のオーストラリアチャンピオン。でも何とか突破口を探さなくちゃ。2連敗する訳にはいかない。
パンチを貰いながらも必死に相手の弱点を見つけようとする。
「うーん・・・弱点ないかも。勝てる気がしない」
途中、弱気になることもあったが
「いやいや、諦めちゃダメだ。何が起こるか分からないのがボクシングだ」
最後まで勝利を信じ、手を出し続けた。
すると6ラウンド目に相手の打ち終わりに合わせた私のカウンターパンチがヒットした。
それをきっかけに私のパンチが当たり始める。パンチがヒットする度に相手の鼻からは血が噴き出す。
「やっぱり外国人は鼻が高いから鼻が折れやすいよね。私は低くてよかった・・・」
そんなことを考えながら6ラウンド目が終了。
インターバル中にセコンドが言った。
「もう休ませないで畳み掛けろ!いけるぞ。勝つぞ!」
私もいけると思った。全力を出し切って打ちまくろう!さぁ第7ラウンドだ。
あれ、相手が出てこない。何やらグローブを外して、バンテージをほどいている。
ぽかぁーんとしている私に、レフェリーがTKO勝ちを告げる。何が起きたのか、しばらくは理解出来なかった。
どうやらブキャナン陣営は、「試合は6ラウンドだと聞いている」と言い張っていたそうで・・・。
それはあり得ない。だってポスターにもパンフにも計量通知にも8ラウンドだと書いてあったのだから。
たぶん鼻骨骨折でこれ以上続けられなかったから、とりあえずそう言ってみたのかもしれない。
今回のパンチはある意味ラッキーパンチだったのかもしれないが、私はそれだけではないと信じている。
まず日頃の練習がないと本番では出せない。相手に合わせるカウンターを日々何度も反復練習していたからピンチの時に出せたのだ。
それからやはり根性、最後まで諦めない粘り強さがあっての勝利だったのだと思う。
とはいえ、いくら練習を頑張っても、根性があったとしても、当日のコンディションが悪ければ元も子もないなぁ、と改めて反省したことも確かだった。
次こそはベストコンディションで臨みたい。