アメリカ修行から帰って2週間ほど後の2001年7月20日に試合があった。フライ級王座決定トーナメントの第2戦目だ。
初戦で最強の相手、高野由美選手に勝てたので、一気に私がチャンピオン候補の名に挙がっていた。しかも今回の対戦相手はデビュー戦でKO勝ちした選手なので、当然勝てるだろうと油断していた。

しかし、そう簡単には勝たせて貰えるはずはない。相手にしてみればリベンジマッチなので、必死に作戦を練って「打倒八島」で練習を重ねてきたのだろう。

試合開始早々、驚かされたのは相手のファイトスタイルが前回と全く違うこと。確かデビュー戦の時は私と同じでオーソドックスのボクサーファイターだったような気がする。というか、そうだった。

今回は全くその逆、サウスポーのファイターになっていたのだ。短期間でこんなにファイトスタイルを変えることが出来るのだろうか。当然私は戸惑った。
私が最も苦手とするスタイルがこのサウスポーのファイターだ。高野選手もそうだった。もしかしたら、それが知られていたのかもしれない。研究されていたのかもしれない。

1ラウンド目、私はかなり戸惑いながらも、なんとか相手のペースに飲まれることなく、その距離感に慣れていった。
それからのラウンドも相手は頭から突っ込んで来るような、こちらに猛進してくるようなスタイルだった。初めこそビックリしたが、だんだんとパターンが読めてきたので上手く距離を取り、パンチを的確に叩き込んでいく。最後まで相手の猛攻は変わらなかったが、割と冷静に対処することが出来た。
アメリカでいろいろなタイプの選手とスパーリングしてきた成果があったのだろう。
結局、3-0の判定で勝利。自分のスタイルを死守出来たことが良かったのだと思う。

そしてこの日、もう1試合準決勝が行われた。あちらのブロックで、ジプシー・タエコ選手を下し、決勝に駒を進めたのは国際ジムで練習をする土田奈緒子選手であった。
彼女は顔がかわいくて人気があったが、髪を金髪やオレンジに染め上げて顔にはいつも不敵な笑みを浮かべており、不気味さも感じられる。自分では口に出すのもはばかられるが、かくいう私もビジュアル系と言われており、当時はビュアル対決として注目を集めていた。私も土田選手も雑誌の取材等を受け、リング外での闘いも熱くなっていた。

土田選手、それまでの試合を観てきて、ぶっちゃけ自分よりも格下の選手だと思っていた。
これなら勝てる、絶対勝ってやる!という自信もあったのだが・・・。

ここでまたまた得意の油断が出てしまった。全く・・・何回油断すれば学習するんだよ、私。
相手もそれまでの姿でリングに上がる訳ではなくて、ハードな練習を重ねて成長しているのだ。チャンピオンになりたい気持ちも強い。それがまるで分かっていない当時の馬鹿な私。
後になってやっと分かったこと、それは現状よりもレベルアップした相手を想定して準備しなくてはならないということ。

その上、チャンピオン候補だとおだてられ、無理めの取材も受けてしまう。
辞めとけばいいのに、試合1カ月ほど前に取材で再びニューヨークに行った。
当時人気のあった某ドキュメンタリー番組から
「もう一度ニューヨークのグリーソンズジムに行ってくれないか」
と頼まれたのだ。
私も好きな番組でよく観ていたし、初代チャンピオン誕生までの軌跡を追いたいとの申し出に、嬉しくてついついOKをしてしまった。
それとは別にお世話になったトレーナーのボビーやスパーリングをして貰った選手達にまた会いたいという気持ちももちろんあった。
みんな再会を喜んでくれたし、ジムでの練習やスパーリングにも協力してくれた。
「ブルックリン橋を黒人トレーナーのボビーとシャドウボクシングをしながら走る」
というような映画のワンシーンのような画も撮って貰って、いい気になっていたのかもしれない。

今思うと、もっと慣れた環境で、心肺を追い込むトレーニングが必要だったように思う。それまでの試合では4ラウンドまでしかやったことがなかった。6ラウンドも8ラウンドも経験がなく、タイトル戦でいきなりの10ラウンド。よく考えれば、というか考えなくても持久力は必須だろう。
「早いラウンドで倒すから持久力は必要ない」
なーんて生意気なことを考えていた訳でもなく・・・。
やはり馬鹿だったとしか言いようがない。
私の場合、本来なら1カ月以上前から落ち着いた環境で丁寧な調整が必要なようだが、この時は全然分っていなかった。

そして更に、その後どうしても断れない用事でなんとオランダにも行くことになり、私は初めてのタイトル戦に不安な要素満載で臨むこととなる。

投稿者 GB