ニューヨークでの武者修行、朝早く起きて友人のガッツと一緒にセントラルパークをランニングする。6月のニューヨークはそれほど暑くもなく、雨も降らず、風も心地良く快適な、気候だった。
2人で公園をブラブラしていると、いろんなことを忘れて遊びたくなってしまう。
しかし、あのグリーソンズジムでは恐ろしい女子ボクサー達が私の到着を待っているのだ。ジムに向かう足取りは重いが、自分で決めたことだ。今回の修行は自分で自分に課した試練。全て遂行しなければ意味がない。
一度部屋に戻って、トレーニングの支度をして地下鉄でジムに向かう。もっと昔の地下鉄は汚くて危険というイメージがあったらしいが、この頃(2001年)にはすっかり綺麗に安全になっていた。
いつも明るく、オヤジギャグが得意なガッツに励ましてもらって、なんとか自信を取り戻して、やる気になる。
ストレッチが終わり、ロープ、シャドウ、ミット打ち等をこなしていると、黒人の女子ボクサーと彼女の母親らしき人が、トレーナーと共にボビーの元にやって来た。
「うわっ!これってスパーリングの申し込み以外に考えられないよね」
と思っていると、やっぱりそう。まぁそれはそうでしょうね。
黒人選手とやるのは初めてのことで、私はそれだけでビビッていた。だって身体能力が日本人とは全然違うでしょ。その敏捷性も動体視力も人間離れしているような気がする。
それにやる前に聞きたくなかった情報なのだけど、彼女はゴールデングローブ(アメリカのアマチュアボクシング大会)に出て、入賞したことがあるらしい。
母親がマネジャーを務めているらしくて、まるでステージママのようで、その存在も不気味であった。
いかにも爆発力がありそうな彼女と対峙しているだけで、リングから逃げ出したくなったが、怖いからといって目を瞑っている訳にもいかず、相手の目力に負けないように出来る限り鋭く怖く睨み返す。それまでの人生で、一番怖い顔をしようと頑張った。しかしやはり自分の迫力には全く自信がない。その時の私を俯瞰して見てみたら、さぞかし自信なさげで弱そうだったことだろう。
スパーリングが始まる。予想通り、相手の動きは俊敏でとても目で追いきれなかった。パンチやフットワークの速さも今までやった選手とは比べ物にならない。私のパンチは全て空を切る。自信のあった左連打も右ストレートも。こんなことは初めてだ。
「世界にはこんな選手がゴロゴロしているのか。とんでもないことに挑戦してるんだなぁ、私。」なんだか急に恐ろしくなる。
いやいや、この状況をなんとかしなければ。
パンチの打ち終わりにこちらも返そうと試みるのだが、次の瞬間、もう目の前にはいない。まるで忍者のようだ。忍者に会ったことはないのだけれど。
幸い、パンチの重さはそれ程ではなかったが、パンチの回転力、足の速さに私は翻弄された。必死に目を凝らして、パンチを当てようとしても素早く柔軟に動く上体で全てかわされてしまうのだ。
スパーリングの3ラウンド中、ずっとこちらが翻弄されている状態だったが、それでもタイミングが合ってきた終盤頃に、何発かはヒットさせた。その中で顔の真ん中にヒットしたパンチがあったようで、スパーリング後、彼女は鼻血を流していて母親がそれをかいがいしく拭いていた。
明らかに私の方が負けていた内容だと思ったのだが、それ以降、彼女の陣営は私のスパーリングの申し込みを一度も受けてくれなかった。
それまで鼻血を出したことはないそうで、私のパンチを「痛い」と評価してくれた。
私は私で「全く歯が立たなかった」と落ち込んでいたので、そのような評価はとても嬉しく救われたような気持ちだった。
とはいえ、スピードについていけなかったこと、圧に負けたことは確かである。これからの課題がハッキリした良いスパーリングが出来たと思う。
結局、彼女とは一度しかスパーリングが出来なくて、それは今でも心残りである。
「あと2,3回やりたかったなぁ。そうすればもっと速い動きに対応出来るようになれたかも・・・」
などと、今更ながら時々考えてしまうのだ。
次の日からのスパーリングもいろいろな人種の選手、10㎏以上体重が重い選手達が相手。
全く違うタイプの選手にも対応し、顔が怖い、圧が強い選手にもビビらないように何とか立ち向かった。
ジムに来た頃には「弱そうな日本人」「いいカモが来た」というように見られていたようだが、帰る頃にはそのイメージも少しは変わっていたに違いない。
英語が出来なくて、ビビりだった私もトレーナーのボビーと友人ガッツのサポートによって、何とかこのニューヨーク武者修行を乗り切ることが出来て、ここに来る前の私よりも度胸がついたように思える。ありがとう、ボビー、ガッツ!
さあ、次はアメリカの反対側、西海岸のLAジムで2週間の修行が始まる。