前回は山木ジムの選手たちとの交流をお話ししたが、山木ジム以外にもあちこちのジムに女子選手が散らばって在籍していて、彼女たちにもずい分スパーリングをして貰った。

私が出稽古に行ったのは、ほとんどが東京、横浜近郊のジムで、ワタナベジム、青木ジム、ドリームジム、三迫ジム、花形ジム、JBスポーツジム等。それだけで私はもう満足だったのだが、当時のトレーナーが、もっと強い選手とやらせたい考えで、名古屋の菊川未紀選手のジムにも連れて行って貰った(連れて行かれた?)ことがある。

 

菊川選手は私が始めるずっと前からボクシングをやっているベテランの選手で、階級も一つ上。テクニックもパワーも併せ持つ、私がデビューする前からよく試合を観ていた選手である。やはりいつもの出稽古より緊張感があるし、いくら怖いもの知らずの私とは言え、彼女と拳を交えることには正直ビビッていた。関係ないかもしれないが、名古屋に行くのが初めてだということもあったのだろうか。

 

試合以上にドキドキしながら、敵地の広いリングに上がる。もう逃げられない。胸を借りるつもりで全てを出し切るしかない。

「生きて帰れるのか」そんな弱気な考えが頭を掠める。スパーをしたのは3ラウンドだったと思うが、1時間に感じる程、途方もなく長く感じられた。

3ラウンドの間、夢中で打ち合ったので内容はあまり覚えてないが、相手のパンチは確かに重かった。スパーの後、頭蓋骨が軋むように痛かったことは覚えている。ヘッドギアをつけていたのに!それまでのスパーでは味わったことのない痛みだった。

だが、もっと一方的にやられるのかと思っていたが、私のパンチも結構当たったというのも事実だ。手応えはあった。私はこの時、デビュー間もなかったから、相手が油断していたこともあるのかもしれない。

菊川選手とは、その後ロスアンゼルスのLA.ジムで何回かスパーをしたことがある。

彼女は現地の世界タイトル保持者のスパーリングパートナーも難なく務めていた。

そしてそこのジムではアメリカでプロデビューした丸山礼子選手も練習していて、彼女とスパーして貰ったことも良い思い出だ。ロスアンゼルスの街中、正に右も左も分からない未知なる世界を親切に案内してくれたのも彼女であった。

アメリカで会ったこの丸山選手、現在近所に住んでいるということが最近判明した。なんと子供の幼稚園が一緒だったのだ。世界は意外と狭い!

 

最後に特筆すべきことは、当時「不動館三人娘」というとんでもなく強い女子選手たちがいたということ。不動館はキックボクシングのジムだが、その中で中沢夏美選手と熊谷直子選手はボクシングにも進出し、その活躍はやはり私がデビューする前からよく知っていた。

長年選手をやっているだけあって、やはり2人共パワーもテクニックもある。特に目が良く、相手の攻撃を良く見てかわし、その直後に自分のパンチを叩きこむ。フットワーク、ポジショニングもいいし、スタミナも根性もある。もう骨格からして強そうだ。

私からしたら、よく雑誌でお見かけした選手、架空の人物ではないかとさえ思っていた。

 

不動館は山梨にあったのだが、ある日トレーナーが「山梨に行こう」と言い出した。そのニュアンスから旅行ではないことはすぐに理解した。イヤな予感は的中。

「ええっ!またー?そんな怖ろしい計画を・・・」

怖かったけど、どこかワクワクする自分もいた。

しかし、その出稽古は実現しないままで終わった。というのも、計画自体があまりにも無謀だったのだ。

 

ボクサー仲間やトレーナーと長野県に2泊3日で高地トレーニングに行き、酸素の薄い高地を散々走って追い込んで、しかも行き帰りはバイクでツーリングしながら、という合宿があり、その帰りについでに山梨に寄るという計画。

不動館の前まで行ったし、スパーの道具も持って行ったのだけど、声を掛けることさえせず、そのまま帰ってしまった。合宿で疲れ切っていたし、なんとアポイントも取っていなかったのだ。相手に失礼だし、こんな状態でスパーをしても意味がないとトレーナーが判断したのかもしれない。

「もっとコンディションの良い時にまた改めてお願いしよう」と思っていたが、結局それきりになってしまった。

その時は「助かった」と命拾いした思いであったが、今思うとスパーをやっておけばよかったなぁ、と少し後悔している。彼女たちと「殴り合った」という思い出が欲しかったのである。

 

実際にスパーリングした選手もしなかった選手もいるが、リングの中で外で共に闘ってきた選手たち。みんな今はそれぞれの道を歩んでいて会うことも殆どないが、一緒に女子ボクシングの歴史を刻んできた大切な仲間たちだ。

投稿者 GB