オーストラリアチャンピオンとの熱い試合が終わり体調も回復した頃、早くも次の試合が決まったことを告げられる。日程は2002年12月18日。試合会場は代々木第二体育館で客席は3000席ほど。またしても規模が大きくなった。
そして前回はBSだったが、今回は地上波での放送が決定したとのことで、女子ボクシングがどんどん大きくなっていることを実感していた。
客席300人ほどの北沢タウンホールの4回戦でデビューしてから、女子ボクシングがもっとメジャーになるようにと、仲間達とずっと頑張ってきた。まだまだ通過点だが、この日の試合が大きな意味を持つことになるだろう。絶対に失敗出来ない試合だと身を引き締めた。
暑い夏も過ぎ去り、ランニングするにもジムワークするにも良い気候だった。日々、内容の濃いトレーニングを重ね、次の試合に関しては自信しかなかった。はずなのだが・・・。
「またやったの?」
「もういい加減にしろよ!」
と、お叱りの言葉が聞こえてくるようだ。
確かに自分でも
「いい加減にしろ!いい加減にして欲しい」
と思っていた。もう泣きそうだった。
11月の初め頃、並行して行っていた「大道塾」の稽古中に、右腕の尺骨を骨折してしまったのだ。
大道塾の稽古はもう10年以上続けていて、黒帯も締めている。それまでは蹴りを受けても腕が折れることなんて全くなかった。だが、それはラッキーなだけだったのかもしれない。
その時の相手は男性の練習生。あまり見慣れない顔だった。慣れている人同士だと、いい感じに力を抜いたりするのだけど、その人はとにかくガムシャラに向かってくる。突きも蹴りも本気で試合モードのようだ。
「黒帯の女になめられてたまるか!」
というような気迫が感じられる。イヤな予感しかしない。ボクシングの試合も近いし、ここで
「少し力を抜いて下さい」とか
「2,3回抜けて見ています」
とか言えればよかった。「黒帯」だからとか「チャンピオン」だからとか、下らないプライドが邪魔をして言うべきことを言えない。
「こんなことをお願いしたらカッコ悪いかな」
と思ってしまう。いつもそうだ。私の後悔は遅すぎる。
あ、後で悔やむから「後悔」なのか。後悔し過ぎて頭が混乱している。
何を優先にするべきか、冷静に判断することが出来なかった。
その男性との組手中、右腕で中段の回し蹴りを受けたとたん「パキッ」という乾いた音が響いた。
「あれ、相手の足かな?」
最初はそんなお気楽なことを考えていたが、なんだか自分の腕が痛いような気がしてきた。
「気のせい、気のせい」
強引にそう思い込もうとしたが、その痛みはズキズキと徐々に大きくなっていく。
「すみません。腕を痛めたようなので少し見学しています」
やっと言えた。遅い、遅いよ私。
「どうしよう?試合」
痛さよりもそのことで頭がいっぱいだった。悔しさと不甲斐なさと不安で涙が溢れてくる。
この頃の私の移動手段はバイクだった。帰り道、アクセルを回す度に激痛が走る。またしても叫びながらバイクを運転した。
「骨折はしていない」との支部長の見立てだったので、しばらく様子をみていたが、右手がクリームパンのようにパンパンに腫れてきて、痛みも一向に治まらない。我慢出来ず、やっと3日後くらいに整形外科に行った。
やっぱり・・・。右の尺骨がパッキリと折れていて、そのレントゲン写真を見ながら嬉しそうにニヤけるドクター。
「もう!どうしてドクターって、人のピンチの時に嬉しそうに笑うのー?Sなの?」
結局、有名なスポーツ整形を紹介してもらい、尺骨をチタン製のプレートとボルトで固定する手術を受けることに決める。前回に続いて、人生2度目の入院。そして人生で初めて身体にメスを入れる。ボクシングやってるからか、なんだか最近人生初が多いなぁ。
手術が終わって退院したのが、試合の1ケ月ほど前だった。本来なら2カ月は安静にしなくてはならなく、試合なんてもっての外なのだが、このドクターはスポーツ選手からの信頼も厚く、私のワガママも聞いてくれた。
「本当はダメなんですけど、まぁ方法がないこともない・・・」
ドクターはちょっと勿体ぶって特別なサポーターを出してくれた。
「これを着けてやるんだったら、許可してもいいんですが・・・まぁ、また折れたらまた私が手術するので来て下さい」
ひゃー、カッコいい!もう一生ついていこうかと思ったよ、この時は。
などと舞い上がっているのも束の間で、翌日からは一気に現実に引き戻され・・・。
ジムに行くと、右腕をギプスでガチガチに固定している私に驚きの視線が注がれる。1ケ月後に試合に出るなんて誰も思ってないだろう。練習着に着替えるのも一苦労だった。食事をするのも、シャワーに入るのも大変だ。本当に試合なんか出来るのだろうか。
でも何故だか根拠のない自信はあった。元々左のパンチが得意で殆ど左で闘っている感じだったので、左が出せれば大した問題ではない、と感じていた。それに右が全く使えない訳ではないのだ。試合の時は勿論ギプスは外しているし、ここぞという時には右を使っても良いとドクターに言われている。
試合までの1カ月間は左パンチのシャドウ、スパーリング、ミット、サンドバッグ、そしてランニング。
よそのジムに出稽古に行った際
「私は左だけでやります。普通にやって下さい」
と言うと、みんなビックリしてたっけ。
「ナメてんのか、こいつ?」
と思われたかもしれない。
体重も順調に落ちてきたし、これはいけるかなぁ、なんて手応えを感じていた頃、一気に不安になるような出来事があった。
対戦相手の写真が送られてきたのだ。相手は前回同様オーストラリアの選手で、ニッキー・カビロという選手。顔が怖そうなのはもう慣れっこだが、構えがサウスポーなのだ。サウスポーが相手だと左ジャブ、左のパンチ全般が当たりにくい。私としたことが、サウスポーかもしれないということは全く考えていなかった。浅はかだった。
落ち込む私に
「本当はオーソドックスなのに、混乱させようとしてわざとサウスポーの写真を送ってきたのかもよ」
と会長が取り繕うように声を掛ける。
「いやいやいや、うーん。そんなことって・・・。もしそうだったら嬉しいけど」
ネットが発達していなかった当時、相手の情報もすぐには入手出来ない。
右腕を骨折していた私は対戦相手の全貌もよく分からなく、多くの不安を抱えたまま試合当日を迎えることになる。