2001年10月10日、フライ級の初代チャンピオンを決める王座決定戦が行われる。国際ジムの土田奈緒子選手と私、勝った方がチャンピオンになれる大切な試合。ところが私はその試合の1か月程前に、アメリカとオランダに行く用事が出来てしまった。
まずは某ドキュメンタリー番組のディレクターに頼まれて、ニューヨークのグリーソンズジムを再度訪れることになった。前回行った時と同様に、楽しいことや勉強になることも多かったのだが、やはり勝手が違ったのは、番組の撮影だということ。
日系の選手で体格的にも実力的にも丁度いい選手がいたので、試合対策としてその選手メインでスパーリングをやっていたのだが、
「日系の選手ばかりだと日本でやってるのと見た目的に変わらないかも。画的にもアメリカに来た!って感じが欲しいから、もっと白人ってハッキリ分かる人とやって」とか
「次は黒人の選手と!」
とか、ディレクターの人にいろいろと注文をつけられた。
その白人のボクサーも黒人のボクサーもあまり私の練習になるような相手ではなく、撮影はただ見た目に拘って進められていった感じだ。
他にもセントラルパークでランニングして、その後キッチンカーでベーグルを購入してベンチでそれを食べるといったようなベタな映像なども撮る。
まぁ楽しかったことは楽しかったのだけど、「試合前の練習としてはどうなのかなぁ」という一抹の不安は感じた。
そしてそのニューヨークから帰国せずに、兄の結婚式のためにそのままオランダへ。撮影クルーとはニューヨークの空港でのお別れとなった。
ホントは行きたくなかった。兄とは歳が離れていたし、兄が早くから家を出ていたのであまり話をしたこともなかった。
最初は「タイトルマッチが近いから」と断って、兄もそれで納得していたのだが、しばらくして再度電話があり、
「お前がオランダに来ないと○○さん(兄のお嫁さんになる人)が結婚取りやめるって言ってるんだよぉ!」
と泣きつかれた。そして
「ボクシングと兄妹の結婚式、どっちが大事なんだよ?」とも言われた。
「えーっ!なんだよ、それ。勿論ボクシングだけど」
当然そう思ったが、口には出せない。
それに離れてはいたけど、なんとなく兄が女性に縁が無かったのは知っていた。そんな兄にようやく相手が出来たのだから、もしも本当に私のせいで破談になったら申し訳ない。これが結婚のラストチャンスかもしれない。
そんな訳でオランダにも行ったのだが、せっかくの初ヨーロッパなのに滞在中もう全てが上の空だった。風車もチューリップも、教会での結婚式もご馳走も、着飾った新郎新婦でさえも。
「タイトル戦まであと何日だろう?これ食べちゃって体重大丈夫かなぁ。10ラウンドってどんな感じだろう」
そんな考えが頭の中をグルグル回っていた。
ロードワークは旅先でもやると決めていたのでホテルの周りを走っていたが、オランダは雨が多いのか、それとも雨季のせいか、雨の中を毎日走ることになってしまった。
そしてそれより困ったのが、私が方向音痴だということ。
ホテルの周りを走っているつもりが、何処にいるのか分からなくなり、知らない土地で何度も泣きそうになった。
とはいえ、海外で思うように練習が出来なかったというのは言い訳に過ぎず、私が苦戦したのは、油断していたことと土田選手がメッチャ強くなっていたのと両方が原因。土田選手はもうすっごいレベルアップしていた。パワーもテクニックも。
試合開始早々、パンチが当たらないことにビックリする。目がいい。ボディワークもいい。フットワークもいい。
「土田さんってディフェンスのテクニックがこんなにも巧かったのか」
私が勝手に抱いていたイメージとは違った。もっと足を止めて打ち合うスタイルかと思っていた。
まぁ私が足を止めないから、それは出来ないか。
とにかく自分が思うような展開にならない。何発かは当たるのだが、クリーンヒットが少ない。どうすればいいのだろう。そう考えながら無防備なパンチを出すと、相手のカウンターが飛んでくる。それを何発か貰ってしまう。それもクリーンヒットではなかったから、お互いに決め手に欠けるといった感じだろうか。
そのうち、リーチで勝る私のジャブがコツコツと当たるようになる。しかし次のラウンドでは相手はそれをバックステップでかわしたり、かい潜ったりして近い距離のパンチを当てようとする。私のパンチを紙一重でかわし、その直後に自分のパンチを滑り込ませて来るのだ。
「凄い、闘いながら成長してる。それにやっぱりセコンド陣も優秀だなぁ」
全く余裕がないはずなのに、ふとそんなことを考える。
それからも一進一退の攻防が最終ラウンドまで続いて試合終了。
初めての10ラウンド。一応平静を装ってはいたが、4ラウンドに比べて遥かにキツかった。
結果は三者三様のドロー。いろんな方にいい試合だったと言って頂いたが、やはりお互いに決め手となる攻撃がなかったようだ。
そしてこのお預けとなったチャンピオンベルトを賭けて、翌年の2月に再戦することが決まった。
取材に来ていたテレビ番組は「もし勝てなくても放送します」とか言ってたのに、ドローになりどのようにまとめたらいいか分からないとのことでお蔵入りとなった。
そしてもっとショックだったのが、オランダでの結婚式に参列させられた件。何年かして兄に話したら全然覚えていないという。
「そんなことオレが言う訳ないじゃないか!」
だって。しかも少々キレ気味。
は?マジか?
そんなこと私が妄想する訳もないでしょ。試合のことを考えたら出来れば行きたくなかったよ。
本当にビックリしたし残念な気持ちでいっぱいだ。兄のこと、本気で心配してたから行ったのに。
人の記憶って都合がいいように作り変えられるのかな。私の時間を返してくれっ。
この試合で得た教訓。
「大切な場面では自分の気持ちを優先させる」
外野はいろいろ言ってくるけど、何年か経ったら何にも覚えてないことが多い。どうしても譲れないことは人に左右されずに自分で決断しよう!